1926年にアントニオ・カヴァリエリ・ドゥカティの息子である、ブルーノ・ドゥカティ、アドリアノ・ドゥカティ、マルチェロ・ドゥカティ>の三人兄弟が設立。
当初はラジオや無線の部品製造会社であったが、その後は家庭用ラジオや電気剃刀やといった様々な電気あるいは機械製品をも手がけるようになった。
当時イタリアはベニート・ムッソリーニの政策により急速に工業化を進めており、ドゥカティも急成長して1939年には従業員7000人の大企業へと成長した。しかし第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受けることとなる。
ドゥカティは比較的初期の段階からレース活動を積極的に続けており、レース活動で得たデータを活かして公道用市販車の開発に積極的に役立てるのもドゥカティの特徴の一つとなっている。他のメーカーでもレース活動から公道用市販車へのフィードバックは行なわれているが、公道用市販車がレース活動で使われている車両とこれほど密接な関係にあるのは珍しい。
- 1946年 - クッチョロ生産開始。50cc1.25馬力で最高時速50km/h。
- 1954年 - エンジン設計主任としてファビオ・タリオーニがモンディアル社から転職、1955年3月にはカムシャフトをベベルギア駆動する100ccOHCエンジンを搭載した100ccグラン・スポルト・レーサー、愛称マリアンナを設計。
- 1956年 - 世界グランプリに参戦、125ccGP用レーサーにドゥカティとしては初めてデスモドロミック機構を採用。
- 1956年 - マークIIIシリーズに市販車として初めてデスモドロミック機構を採用。
- 1964年 - 5速ミッション採用。
- 1964年 - 後ろ側エンジンマウントの幅を拡げ、ミッション、オイルポンプが強化された。これ以降のエンジンはワイドケースと俗称されるがエンジン自体の幅が広くなったわけではない。
- 1970年 - 現在の主力商品である大排気量Lツインの元祖、750GTをミラノショーで発表。
- 1972年 - イモラ200マイルレースにてデスモLツイン750ccレーサーがデビュー戦でワンツーフィニッシュ。優勝はポール・スマート、2位はブルーノ・スパッジアーリ。
- 1974年 - 750GTにデスモドロミック機構を搭載しカウルを装着したスポーツモデル750SSをイモラレプリカとして発表。単気筒モデルを製造中止。
- 1975年 - 750GTを大排気量化した860GTを設計する際デザイナーにジュージアーロを迎え、クランクケースが角形になった。
- 1978年 - マン島TTF-1レースで当時の強敵ホンダRCBを破ってマイク・ヘイルウッドの乗るNCRの900SSが優勝。
- 1979年 - マイク・ヘイルウッド・レプリカを発売。
- 1978年 - 伝統のベベルギア駆動ではなくカムシャフトをコグドベルト駆動する初めてのモデル500SLパンタ発売。以後600SLパンタ、650SLパンタと進化する。
- 1983年 - カジバと提携。
- 1985年 - 750F1パンタ発売。同年マイク・ヘイルウッド・レプリカの最終モデルミレが製造中止となり、ベベルギア駆動からコグドベルト駆動への世代交代が完了した。カジバに買収され傘下に入った
- 1988年 - スーパーバイク世界選手権が始まり851で最初から参戦、2006年までの19年の間に12人の年間チャンピオンを輩出している。
- 1998年7月 - カジバの傘下からアメリカテキサスのパシフィックグループ傘下に移った。
- 2003年 - ロードレース世界選手権の最高峰MotoGPクラスに参戦しホンダやヤマハに次ぐ勝利数を挙げるメーカーとなっている。
- 2007年 - ワークス契約ライダーのケーシー・ストーナーとドゥカティ・マルボロチームがMotoGPクラスで年間優勝、ドゥカティ初の3部門(ライダーズ、コンストラクターズ、チーム)すべての制覇を成し遂げた。日本メーカー以外のマシンが世界最高峰のオートバイレースで年間優勝したのは1974年のMVアグスタ以来33年ぶり。MotoGPで出場していた車両(デスモセディチ)を基に一般公道走行可能にした車種が発売された。